金子堅太郎 槍を立てて登城する人物になる
金子堅太郎(1853~1942)官僚、政治家。
明治・大正・昭和を通じて、官僚、政治家として国際的な活躍を見せた金子堅太郎。その本領は一体何だったのか。法律家、経済政策通、遊説家、国際交流人、歴史家など様々な功績を振り返りながら、近代日本の発展を世界に広報し続けた「国際人」としての姿を描き出す。
[ここがポイント]
◎ 豊富な資料や写真をもとに、その生涯を丁寧に描く。
◎ 金子堅太郎の初めての評伝。
第一章 生い立ちから米国留学まで
1 「槍を立てて登城する人物になる」
2 米国留学へ
3 ハーバード大学での日々
4 二、三の留学エピソード
5 「太平洋に“浮かぶ宮殿”」に帰る
6 再び東京へ
第二章 明治憲法の起草に参画
1 保守的政治理論を紹介した著書『政治論略』
2 伊藤博文の秘書官に
3 憲法の草案作りと発布
第三章 欧米諸国へ議院制度の調査旅行
1 帝国議会の開会までに
2 世界旅行の始まり
3 初めてのヨーロッパ
4 しばしロシアの大地に踏み入って
5 イタリアで省察した海外広報への所信
6 イギリス議会での調査収穫
7 T・ルーズベルトとの出会いの真相
8 日本法律学校の初代校長に就任
第四章 「条約改正」とジュネーヴ国際公法会議
1 日本人で初の国際公法会議準会員
2 新しい学問・経済学を研究せよ
3 ジュネーヴ国際公法会議
4 インド洋を経て帰国
第五章 日清戦争と閣僚への道
1 日清戦争を奇貨として
2 念願の司法大臣に
3 米友協会の誕生
第六章 日露戦争と米国遊説
1 伊藤博文の密命「アメリカを取り逃がすな」
2 武士道とアンダードッグ観の広報活動
3 「余は日本の為めに周旋の労を執るを辞せざるべし」
第七章 ポーツマス講和会議と“影の全権委員”
1 「連鎖ノ任」に就く
2 金子に知らされなかったロシア皇帝の譲歩
3 桂・ハリマン覚書の破棄と高平・ルート協定の締結
4 伊藤博文の暗殺事件
第八章 日米協会初代会長と枢密顧問官
1 米友協会から日米協会へ
2 深刻化する日本移民問題と度重なる不運事
3 枢密顧問官として活動
第九章 日本近代史の編修者
1 歴史家として素質
2 『維新史』と『明治天皇紀』
3 伝記の記述方法に思案する
4 明治天皇聖徳記念絵画館の建設
第十章 太平洋戦争の勃発と金子の死去
1 1941年12月上旬の金子『日記』
2 ニューヨーク・タイムス紙の追悼記事
主要参考文献
あとがき——“国際人”金子堅太郎の嚆矢的な評伝として
金子堅太郎略年譜
人名索引