渡邉洪基 衆智を集むるを第一とす
渡邉洪基(1848~1901)明治期の官僚、政治家
帝国大学(今日の東京大学)の初代総長であり、民権運動に対する政府の弾圧策として悪名高い「集会条例」の起草者。その一方で、国家学会や統計協会など多くの学会や組織の立ち上げに関わり、「三十六会長」と言われる。本書では、日本の近代化を支える「知」のあり方を追求した明治国家の造形者のひとりとして、渡邉に新たな光を当てる。
[ここがポイント]
◎ 「国制知」なる語をつくったサントリー学芸賞受賞の著者が、明治を生きた個人としての渡邉のあゆみを描く魅力的な伝記でありながら、同時にその生を通して近代国家創生のなかでの「学知」のありかたを問う意欲作。
◎ 伊藤博文や福澤諭吉といった近代史の重要人物との関係にも触れ、近代化に向けて始動した日本の当時の時代状況を浮かび上がらせる
第一章 幕末の思想形成
1 生地武生
2 武生出奔
3 賊徒として
第二章 維新官僚への転身
1 外交と学政
2 武生騒動
3 条約改正交渉への参加
4 岩倉使節団の一員として
第三章 欧州への赴任――societyの発見
1 奇縁としての岩倉使節団
2 再び海を渡る
3 帰国の途
第四章 萬年会、統計協会、東京地学協会――societyの移植
1 「衆智」へ向けて
2 萬年会の創設
3 統計協会
4 東京地学協会
第五章 新たな「治国平天下」の学を求めて
1 学習院次長となる
2 集会条例の起草
3 明治十四年の全国漫遊
4 政治学校設立の構想
第六章 帝国大学初代総長
1 「三十六会長」への歩み
2 工部省に入る
3 帝国大学の創設
4 初代総長として
第七章 国家学会の創設
1 「国制知」としての国家学会
2 国会学講演会
3 実際派対純理派
4 政理対法理
5 国会学の伝道
第八章 晩年――媒介者の最期
1 集会条例その後――政策研究の試み
2 再渡欧と政界への進出
3 政党を創る――国民協会から立憲政友会へ
4 最期の日々――統計講習会
参考文献
おわりに
渡邉洪基略年譜
人名・事項索引