いかにして衰退を止めるかチャーチル、ベヴィン、イーデン、マクミラン…「大国」の地位を維持するための苦闘とその限界。第二次世界大戦に辛うじて勝利したイギリスは、グローバルな利害を持つ「世界大国」の地位をいかにして維持しようとし、その過程で仏独伊ベネルクス6カ国によるヨーロッパ統合運動といかなる関係を構築したのか。戦後イギリス外交の基本方針である、コモンウェルス、アメリカ、ヨーロッパからなる「3つの環」という発想の誕生と変容の過程を、政府公文書を読み込むことにより解明する。
序 「世界大国」としてのイギリスと その戦後外交の課題 I イギリスの戦後対ヨーロッパ基本戦略の 形成過程1 ベヴィンの「グランド・デザイン」と イギリスの対ヨーロッパ政策2 マーシャル・プランとウェスタン・ ユニオン構想 3 対ヨーロッパ政策の転換と新たなデザイン II プランの時代4 アトリー政権と二つの統合プラン5 チャーチル政権とECSC6 EDCの挫折とWEUの創設 III プラン対プラン7 「ヨーロッパの再発進」8 共同市場不参加の決定と「対抗提案」の模索9 プランG 自由貿易地帯構想の誕生 終 自由貿易地帯構想の挫折と 対ヨーロッパ政策変遷過程の意味註/あとがき参考文献/人名・事項索引