渋沢栄一はなぜ「宗教」を支援したのか 「人」を見出し、共鳴を形にする
第Ⅰ部では「宗教」による社会への寄与を評価し、共鳴の基盤を作り上げた姿を考察する。第Ⅱ部と第Ⅲ部では「徳川の遺臣」として、また「名士」としての「宗教」への支援やかかわりについて考察する。
[ここがポイント]
◎ 「宗教」の視点から渋沢栄一に迫ったはじめての研究書。
◎ 渋沢栄一と「宗教」との関わりを、一次史料に基づいて包括的に明らかする。
◎ 既存の研究を参照しながら、渋沢栄一個人を超え、より広く近代日本における「実業」と「宗教」に関する研究のモデル・ケースの提供を企図した。
はしがき
凡 例
序 章 「無宗教」の実業家が「宗教」を支援すること(山口輝臣)
一 多岐にわたる支援とその背景
二 実業家の「フィランソロピー」が「宗教」と出会う場所
第Ⅰ部 「フィランソロピー」の担い手に対する積極的な援助
第一章 渋沢栄一と日曜学校――見出された「国民外交」への期待(佐藤大悟)
一 「渋沢栄一とキリスト教」を問う困難
二 世界日曜学校大会後援会の活動
三 「国民外交」をめぐる期待と憂慮
四 第八回世界日曜学校大会の開催
五 渋沢はなぜ日曜学校を支援したのか
第二章 渋沢栄一による救世軍・山室軍平への支援 町田 祐一
一 救世軍・山室への支援
二 山室と救世軍事業への信頼
三 感謝をもって受け入れられた渋沢の支援
四 長引く不況のなかで――救世軍の財政難と関東大震災
五 救世軍支援にみる渋沢のフィランソロピー活動の特徴
第三章 蓮沼門三と渋沢栄一 ――修養団の「生みの親」と「育ての親」(山口輝臣)
一 草創期の修養団と渋沢による支援の開始
二 渋沢はなぜ修養団を支援したのか
三 変容する修養団と渋沢の影響力の消長
四 「フィランソロピー」をめぐる「神話」の語るもの
第四章 渋沢栄一と湯島聖堂・孔子祭典――儒教精神の普及をめざして(陳 彦君)
一 なぜ湯島聖堂と孔子祭典なのか
二 湯島聖堂保存への渋沢の模索
三 斯文会と孔子祭典
四 渋沢と湯島聖堂の復興
五 湯島聖堂と孔子祭典に託された思い
第Ⅱ部 「徳川の遺臣」としての「宗教」への支援
第五章 松平定信顕彰と南湖神社建設への貢献(見城悌治)
一 日露戦後社会の「偉人」顕彰と松平定信
二 福島県白河町における定信顕彰事業の動き
三 南湖神社創建と渋沢の役割
四 定信顕彰に込めた意図
第六章 旧幕臣・渋沢栄一と徳川家所縁の寺社をめぐって(原口大輔)
一 旧幕臣としての渋沢栄一
二 寛永寺――徳川慶喜の葬儀
三 日光東照宮――日光東照宮三百年祭奉斎会
四 増上寺――静寛院宮奉賛会
五 徳川慶喜の「決断」と「東京」へのまなざし
コラム1 渋沢栄一と仏教――徳川家と福祉から考える(金山泰志)
第Ⅲ部 「名士」としての「宗教」へのかかわり
第七章 渋沢栄一と郷里の社寺( 馬場裕子)
一 縁深い諏訪神社と獅子舞の祭礼
二 渋沢青淵翁喜寿碑と神社への支援
三 祭礼を通じた農村振興
第八章 渋沢栄一と明治神宮――内苑との隔たり、外苑への思い(平山 昇)
一 内苑に姿をみせない渋沢
二 東京実業界の思惑
三 「江戸・徳川」への思い
四 儒学的西洋化と「宗教」忌避
五 明治神宮がもたらした「事実」
六 渋沢の願いと誤算
コラム2 渋沢栄一と朝鮮仏教の「復興」――熊本人・中村健太郎との交叉(永島広紀)
人名・事項索引